| 未来の子供たちへの童話(1) |
平成12年1月23日(日)朝日新聞掲載 |
倉本 聰 |
「人間のことを少ししゃべろう」
長が珍しく口を開いたので、ニングルたちはしんとしました。
外は音もなく雪が降っています。
十勝岳の奥の奥にあるこの太古の原生林は、今はすっかり雪の中で、時折そっと通過して行くキツネやエゾリスのほか動いているものは何もいません。彼らがこのあたりを通過するとき、そっと足音を忍ばせるのは、こゝらがニングルのテリトリーだからです。
ニングル。
このあたりの山奥にそっと住んでいる、体長わづか十数センチの小さなヒトのことを云います。妖精なんかでは決してありません。れっきとした小さな先住民族です。昔は里でも目撃されました。しかし人間が森を伐り始めて段々姿が見えなくなりました。殊に昭和の38年頃、北海道にブルドーザーが入って来て、彼らの姿はぴたりと消えました。
「人間のことを少ししゃべろう」
長が重々しく又言いました。
小さな石炉に薪がバチバチはぜています。
そこは、地元の言葉でガッポと呼ばれている、巨木の中に出来た大きな空洞です。こういうところがニングルの家なのです。
「人間は夜も起きている。」
長がそう云うとニングルたちはびっくりして一斉に唾をのみました。
言い忘れましたが長の年齢は、今年で二百八十三才になります。勿論彼らは自分の歳など数えているわけではないのですが、彼らは生まれたとき親が木を植え、その木と一緒に成長するので、自分の木を見ていれば大体どれ位生きたかが判るのです。通常ニングルの年齢は百八十才から二百五十才といはれますから、さすがに長は最長老で、人間の暦になおしますとおよそ江戸時代の中期からずっと世の中を見てきたことになります。
「夜でも起きてるって、起きて何しとる」
「人間は闇でも目が見えるんか!」
「ちがうちがうそうでない。人間も闇では目が見えん」
「なら何しとる!」
「することがないぞ」
入口にたらした枯笹のすき間から冷たい風がヒュウと入って、長は鼻水をずるっとすすりました。
「人間は太陽を作っちまったんじゃ。」
ニングルたちは今度こそ息をのみ、あんまり長いこと息を止めていたので一人のニングルはひっくり返えりました。
「その太陽は欲しい時出てくれる。闇も照らすしあたためてもくれる」
もう一人のニングルがひっくり返りました。誰かが小さく囁やきました。
「人間ッテ、スゴイ!」
表の森に夕闇が迫っています。
「だけど、だけど 」
若いニングルが顔をまっかにしてききました。
「夜起きとって何するンだ!人間はそんなにやることがあるのか」
「いゝ質問だ。」
長が重々しく答えます。
「わしにも判らん。しかし、あるらしい。そこが人間社会の判らんところだ。」
いつのころからかニングル社会では人間社会をのぞくべからずという厳しい掟が定められていて、それがこのニングルの平和な暮らしを存続させるのに役立って来たのでした。
「長は見たのか!」
「いや、見ちゃおらん。風に聞いた」
「風はどう言った。夜起きて人間は何をしてるンだ」
「色んなことだそうだ。若いもんたちは飲んだり食ったりさわいだりしとるらしい。」
「眠むくないのか!」
「そりゃ眠いだろう」
「眠りゃいゝのに」
「大人は何してる!」
「男の大人は仕事をしとるらしい」
「夜になってもか!」
「やっとるらしい」
「どんな仕事だ」
「金を数えとる」
「金って何だ!」
「むづかしいことを聞くんでない。だから人間のことは判らんのだと言っとる。」
急に不機嫌な顔つきになって、長が大きなクシャミをしたので、ニングルたちはみな黙りました。知らなくてもいいことを自分たちが聞いてしまったことを反省したのです。
「あの、もひとつ聞いて良いもんかな」
中年の、といっても百才はとっくに超えているのですが、髪の薄いニングルがおずおずと声を出しました。
「何じゃ」
「人間の作っちまったその太陽ってもんは、一体どの位の大きさなんかな」
ウッ、と小さく喉が鳴ったのは、長が返事に困ったからでしょう。
「ま、色んな大きさがあるんでないかな。こんくらいのも こんくらいのも。」
「一つでないのか!」
「うン。一つでない」
「太陽をいくつもこさえてしまったんか!」
「風の話では殆んどの人間が夫々みんな、自分の太陽を持っとるらしい」
ゲエッ!!
あまりの驚きに目玉の飛び出した奴までいて、ニングルたちはもうパニックです。
「太陽っていやあわしらには神様だ!」
「それを一人づつ持っとるンか!」
「ちゃんと祭をしとるんか!」
「人間ッテ、スゴイ!」
「いや、やり過ぎだ!」
けんけんがくがく、凄まじい騒ぎです。実はニングルの声というのはかなり高音部のきついもので、人間でいえばカウンターテノール。それが一斉にわめき立てると何やら寝込みを襲はれた小鳥の群のような騒がしさです。
「人間が太陽を創る場所を、何年か前わしは見たことがある。」
一人の長老が云い出したので、みんなはぴたりと騒ぐのを止めました。
「大雪山の北にわしらがおった頃、突然里から人間がやって来て近くの森をどんどん伐り始めた。そりゃあ恐ろしい光景じゃった。機械が唸り倒される度に樹たちが物凄い悲鳴をあげるんじゃ。アッという間に森はなくなり、川をせきとめて大きな建物が建ち始めた。わしらはぶるぶる震えて見っとた。それが人間が太陽を創る、山の作業場じゃとわしらはきいた。わしらがその場所から奥へ移ったのは作業場が立ち上がる少し前のことじゃ。作業場の上流に大きな池が出来、川は傷だらけになってしもうた。」
ニングルたちはしんと黙っています。
外の森では風がヒョウと吹き、梢の雪がサアッと落ちて、あたりは真白に見えなくなりました。雪あかりはあるものの、森はもうすっかり夜の色です。
「長が眠っとる。」
誰かが言いました。
長が眠ったのは夜が来たからです。みんなはそれを見て瞼が重くなり、てんでにゴロンと横になりました。
若いニングルが眠りに落ちながら半分眠って考えておりました。
「人間ッテスゴイナ。夜ニナッテモ起キテルダナ。何ヲシテルンダロウ。疲レルダロウナ 。」
あたりをすっかり闇が覆い、ニングルたちの住む大きな洞の木も殆どもう闇に溶けこんでしまいました。
耳をすますと小さな寝息が、雪の底からかすかにきこえます。
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