| 未来の子供たちへの童話(4) |
平成12年10月29日(日)朝日新聞掲載 |
倉本 聰 |
「目を閉じてじっと耳をすましてごらん」
父親のニングルが子供に云いました。
父親のとしは百八十才。子供はまだ幼く四十前です。
「さあ、そのまま指を折って聞こえたものを数えて行くんだ」
「 」
「あわてなくて良い。ゆっくりでいいよ」
「 」
子供の手の指が一つ折られます。
それからもう一つ折られます。
しばらくしてからもう一本折られました。
風がそよそよと梢を渡って行きます。
木漏れ陽がやわらかくあたりを包んでいます。
そのうちすやすやと子供の鼻から、かすかな寝息がもれ始めました。目を閉じてじっとしているうちに、あんまり気持ちが良いものですから子供は眠ってしまったらしいのです。
でも父さんニングルは何も云いません。ニングルたちは急がないのです。
一時間たち、二時間たったころ、子供ニングルは半分眠ったまま、ゆっくり四本目の指を折りました。そして五本目もつづけて折りました。
片手の指を全部折ってしまったので、今度は別の手に移動してそっちの指も次々に折って行きます。しばらく気持ちよく眠ったおかげで耳の感覚が磨ぎすまされたらしく、色んな音が聞こえ出したのです。
両手の指を全部使い終ると、子供ニングルは今度は右足の親指を折りました。それからしばらくたったあと、今度は器用に右足の人差し指を折りました。
みなさん、一寸やってみて下さい。手の指を折って数を数えるみたいに、みなさん足の指も一本ずつ折れますか? ニングルたちは時々こうやってゲームみたいなことを親とするので、二十才近くなるころには足の指もまるで手の指みたいに一本ずつ折り曲げることが出来るようになるのです。
森のはずれに太陽が沈んで、あたりはすっかり夜になりました。子供ニングルはまた寝息を立て父親ニングルはまたじっと待っています。ニングルの寿命は三百年ぐらいありますから時間はたっぷりあるのです。急ごうなんてものは一人もおりません。
深夜。どこかでヨタカがキョッキョッキョッキョッと啼きますと、眠ったままの子供ニングルの右足の指が一本、静かに折れました。
父親ニングルはそれを見て「これで十三だな」と呟きます。こういうゲームを夜通しやっていると、暗闇でも段々目が見えるようになってくるのです。
それからまたどの位たったのでしょう。眠ったままの子供ニングルの足の指が、何かの音を聴きつけては無意識に何本か折れました。
森の向うが白み始め、湿った土から朝の匂いがゆっくり立ち昇り始めて来ました。その匂いに反応して子供ニングルの鼻がピクリと動きました。その時早起きのキビタキが、どこかでチチチと声を上げました。すると眠っていた子供ニングルは、最後に残っていた左足の小指をキュッと曲げポッカリ目をさまして云ったものです。
「指の数だけ音がきこえた」
父親ニングルは大きくあくびをし、「えらいぞ」と子供をほめてやりました。それからもう一つあくびをして「じゃあ、きこえたものを全部云ってごらん」とやさしく子供にたずねました。子供は一本ずつ指を伸し、思い出しながら挙げて行きます。
「風の音」
「うん」
「風はミズナラの葉っぱをゆすった。トドマツの葉っぱは音をたてなかった」
「いいぞ。それから?」
「沢の音」
「うん」
「それから淵で魚のはねた音」
「何の魚か判ったかな?」
「判ンなかった」
「あれはヤマメだ。ヤマメのはね方だ。それから?」
「白樺の小枝の折れた音。ヤチネズミが落葉の上を走った音。父さんのオナカが鳴った音」
「う」
「リスがクルミの木をかけ上がった音。それから次の木へ飛んだ音。スズメバチが一疋飛んでった音。蚊の羽音。何かの鳥が虫をつかまえて虫がチチッて泣いた音」
「何の鳥が何の虫をつかまえた?」
「鳥は 多分、アカハラだと思う。虫は 蝶々かな?」
「鳥はアカハラだ、よく出来た。虫は蝶々じゃない、カミキリだ」
「そうか。それからもう一度父さんのオナカの鳴った音」
「一度聞こえた音は二度云はんでいい」
「だけど全然音がちがったもん。最初はグウで二度目のはグルルルルだった」
「判った判ったよく出来た」
「それから夜になって 。ヨタカが啼いた。それから 。しばらくして山のうんと奥で、雨の降り出した音がした」
「うんよく判った」
「狐がすぐそばを歩く音がした。鹿が遠くを走る音がした。テンの足音もした。熊があっちの沢のふちを歩いた。沢の音が少し大きくなった」
「山奥に降った雨が流れてきたンだ」
「それから、楊が目をさまして、サァーッて水を吸いあげ始めた。楊の木が水を吸い上げる音がきこえた。それから小鳥が目をさまして啼き出した」
「そうか、よし、えらい。良い耳になったな」
父さんニングルは満足そうに、子供の頭を撫でてやりました。
こうやってニングルは遊びみたいにしながら、聴覚をどんどん鍛えて行くのです。何しろ普通では聞こえないものがこうやってどんどん聞こえるようになると知識はだんだん拡がって行きます。
匂いに対しても敏感になりますし、足の指だって一本々々、折り曲げることが出来るようになるのです。
ニングルたちの、これが教育です。
本もテレビもコンピューターもないニングルたちの森の暮しでは、むづかしいことは必要ないし充分倖せに暮して行けるのです。
それが証拠に今この朝の森で、さしこんで来た陽の光をあたたかく受けながら、スヤスヤ眠っている親子の顔は、何と倖せに輝いていることでしょう。彼らの頭には進学も出世も、塾も宿題もなんにもないのです。
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