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学ぶ・知る・楽しむニングルの森

未来の子供たちへの童話(6) 平成13年 4月29日(日)朝日新聞掲載
ニングルの森   倉本 聰

「最近、長の姿を見たか」
 キサンラプが静かに云ったので、みんなは急にしんとしました。
 キサンラプは結構な歳のニングルです。
 キサンラプというのは<耳たぶ>という意味で、この人の耳たぶは異様に大きいのでそういう名前がついているのです。
 みんなは互いの顔を見合い、そうしてゆっくり首をふりました。
 一人のまだ子供のニングルが云いました。
「長ならイワナ沢のクマゲラの巣穴で、こゝンとこ毎日昼寝をしとる」
 みんなはびっくりして子供の顔を見ました。だってこの時期はクマゲラがその巣穴で子供を作る季節であり、クマゲラの巣穴には絶対近づいてはいけないことになっているからです。そのことは長自身がことあるごとに、みんなに云い聞かせてきたことなのです。
 一人のニングルが子供にきゝました。
「長はクマゲラの巣の、中にいるのか」
「そうだ」
「昼寝しとるのか」
「そうだと思う。こないだクマゲラの巣穴の中から長の白い髪がのぞいてるのが見えた」
 クマゲラは太い木のかなり上の方に、くちばしを使って丸い穴を掘ります。中はその穴から下に拡がり、そこで卵を産み、あたためてヒナを孵すのです。この森にはいくつもクマゲラの巣穴があり、クマゲラたちはその年によって、古い巣穴を使うこともあれば新しい巣穴を掘ることもあります。
「それは昼寝をしとるんじゃないぞ」
 一人の中年ニングルが云いました。
「わしが思うに長は病気のクマゲラの代わりに卵を抱いてやってるンだと思う」

 みんなは、やさしいあの長が、体調をこわしたクマゲラの代わりに何日もじっとその卵を抱いて孵してやろうとしている姿を想像し、やっぱり長は僕たちとちがう、とまたあらためて尊敬してしまいました。
 ところがそのときキサンラプが、ゆっくり首をふり、思いもかけないことを云い出したのです。
「いや、それはちがう。
 おそらく長は、自分の死ぬときが近づいたので、その時が来るのをクマゲラの巣穴で一人で静かに待っとるンじゃ」
 みんなはもうそれこそびっくりして、凍りついたように動かなくなってしまいました。中にはもう既にその大きな目に涙をためている女のニングルもいます。
 風が静かに梢を過ぎて行きます。
「あんたはどうしてそう思うんじゃ」
 しばらくしてから初老のニングルが、かすれた声でキサンラプにきゝました。
 キサンラプはしばらくそのふしくれだった指で、土からのぞいたミミズをいじっておりましたが、やがてゆっくりしゃべり出しました。
「三の沢にあるあの古いカツラの木が、今年は殆んど芽を吹いておらん。あのカツラはとうとう枯れてしまうンじゃ」

「あのカツラは長の命の木だ。長が生まれたと一緒に芽を出し、二百八十年あそこに立っとる。命の木が枯れれば、長も枯れる」

 風が又梢を過ぎて行きました。
 ニングルたちはみんなうつむいて動きません。
 彼らは事態を理解したのです。

 ニングルたちは夫々一本ずつ、自分の命の木を持っています。それは自分の生まれた年に、初めて芽を出した一本の木で、ニングルの成長と一緒に成長します。その木が元気だとニングルも元気ですし、その木に花が咲くとニングルにも色気が発生します。そうして命の木が風で倒れたり、虫くいで枯れたり伐られたりすると、そのニングルの命も終わります。それが運命というものです。
 実は、僕たち人間も、それからけものや鳥や虫たちも、みんな命の木を持っているのです。けものや鳥たちはそれを知っています。
 ニングルたちは勿論よくよく知っており、だから森の木を大切にするのです。
 知らないでいるのは人間だけです。
 百年程前この下流の森に、大きな悲劇がありました。
 人間たちが畑を増やそうと、六万本の木を全部きれいに伐ってしまったのです。
 六万人のニングルが死にました。
 中には五百才近い老人もおりましたし、若い青年も、赤ちゃんもいっぱいおりました。アッという間に全員が死んだのです。
 それ以来ニングルは人里を離れ、山の奥の奥へ移住して、人間に姿を見せないようになりました。
 命の木が伐られるのを防ぐ為です。
 でも人間に伐られなくても、森の木はやっぱりいつかは朽ちます。
 風に倒されたり、水に流されたり、虫に食べられたり、寿命が来たり。それらは神様のおぼしめしですから、それはどうしようもないことなのです。
 谷から風が吹き上がって来て、森の梢がいっせいにゆれました。
 ニングルたちは押し黙っています。
「そういえばおいら、去年の秋見た」
 若いニングルが云ったので、みんな一斉に顔をあげました。
 みんなの視線を浴び、若いニングルは、一寸一瞬顔をあからめましたが、大きく息を吸い早口でしゃべり始めました。
「去年の秋だ。もう霜が下りとった。
 木の実をとりに三の沢に行ったら、遠くからも見えるあのカツラの木の下に、長が一人で立っとったンじゃ」

「長は一人でカツラを見上げとった。じっと動かんでカツラを見上げとった。あんまり長いことじっと動かんから、オラ心配になって近づいてった。
 どうしたの長、ってオイラきいてみた。
 長は初めておいらに気づいて、びっくりしたがすぐに笑った。
 ホラ見ろ坊主この木の根本を。幹からもう新しい新芽が吹いとる。これはこのカツラの枝じゃない。全く別の新しい命じゃ。カツラはもう朽ちとる。朽ちてそこから別の命が出とる」

「本当云うとオラよくきいてなかったンだ。そばにくるみの実が落ちとったからな。袋いっぱいオラくるみ取ったぞ!」

 沢の音が急に聞こえ始めました。
 きっと風向きが変わったのでしょう。
 みんなは、クマゲラの巣穴で静かに死を待つ長の姿を夫々に頭に想っておりました。
 さっき思わず涙をためた一人の女のニングルは、一生懸命考えておりました。
 死んだら長には逢えなくなるけど、新しい命がそのことで生まれる。それは決して泣くことじゃないンだわ。