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学ぶ・知る・楽しむニングルの森

未来の子供たちへの童話(8) 平成13年10月28日(日)朝日新聞掲載
ニングルの森   倉本 聰

 風が轟々と鳴っています。
 雨がドウドウ降っています。
 ニングルの住むこの森は、今台風のまっただ中です。
 でもこのニングルの一家の住む木の洞は、とても静かで平和そのものです。こゝは広
葉樹の深い森ですから梢の木の葉が傘の役目をしてくれていて、それこそ葉っぱの数だ
けの小さな傘をいっぱいさしているようなもので雨は直接落ちてきません。たゞその葉
っぱの傘から落ちてくる水滴が
 ポク、タン!
 ポク、タン!
 地面を這っている山ブドウの大きな葉の上で小さな声を上げているだけです。
 この洞に住んでいるニングルの一家は十人家族。二百三十才のお父さんと、百八十六
才のお母さん、それから、九十六才を頭に八人の子供たち。みんなは今、台風の通りす
ぎるのを、いねむりをしながらのんびり待っているのです。
 ポク、タン!
 ポク、タン!
「ん?」眠っていた父親が突然フッと声をあげたので、一家はあわてて目をさましまし
た。父親が耳をすましています。みんなも耳をすましました。
「いや。ちがうな。」
「何がちがうの?」
 父親が一寸咳ばらいをして、照れくさそうに鼻をかきました。
「いや、あいつが帰ってきたのかと思ってな」
「あいつって?」
「水滴さ」
「水滴!?」
「水のしずくさ。百年程前と二百年程前、二度だけ逢うた知り合いの水滴さ」
 子供たちはみんなもう息をのみました。水滴に知り合いがいるなンて!父さんてやっ
ぱり凄い人だ!

 父さんニングルが初めてその水滴に出逢ったのは、二百年前のまだ父さんが本当に子
供の頃でした。ある春の日、蕗の葉の上で、地面に下りたいのに下りられないでいる一
つぶの水滴を救ってやったのです。
「沢ニ流シテ! 沢ニ流シテ!」
 一寸ジャガイモに恰好の似た可愛いいブルーの水滴が父さんに必死で呼びかけていま
す。そこで父さんはそっとやさしく手ですくい谷川の流れに流してやりました。
「アリガトウ! 必ラズ又帰ッテクルカラネ!」
 水滴は仲間の水滴にまじってキラキラ沢を流れて消えました。
 その次に父さんがその水滴に逢ったのは、それから又百年ほどたった頃。丁度今みた
いな台風の日でした。
 ポク、タン!
 ポク、タン!
 木の根の下の穴でいねむりしていた父さんはしずくの落ちる音に目を覚ましました。
すると今まで、ポク、タン! ポク、タン! と言っていた雨だれの音が、急に一つの
声になったのです。
 ボク、ダヨ!
 ボク、ダヨ!
 父さんはびっくりして目をこらしました。すると、目の前の山ブドウの葉の上に、忘
れもしないジャガイモの形をした、あの水滴がいたじゃありませんか!
「君カ!」
「ウン、ボク! アノ時ハアリガトウ!」
 水滴はそう云うとニコッと笑いました。笑ったらジャガイモがプルンと揺れて、一寸
形が変りました。
「アレカラ一体ドコニイタンダ!」父さんが聞きますとジャガイモは又プルンと笑い、
「旅ヲシテタンダ。ズット遠クマデ」
「遠クッテ?」
「キキタイ?」
 ジャガイモが又又プルンと笑ったので、父さんはコクンとうなづきました。
「アレカラ沢ヲ流レテ、大キナ川ニ出タヨ。」
「大キナ川?」
「物凄ク大キナ川。ソノ大キナ川ガモット大キナ川ト一緒ニナッテ、ソノウチ海ニ出チ
ャッタノサ」
「海!」
「ソノウチッテ言ッタッテ、五年ハカカッタカナ。何シロ川ニハ面白イコトガイッパイ
アッテ、ボク、アチコチデ遊ンデタカラネ。」
「ソレカラ!?」
「海ニ出テフワフワ流レテタンダ。潮ノ流レニノッテ、カナダノ方ヤアメリカノ方マデ。
トッテモ冷タイ海モアッタシ、クジラヤイルカノイル海モ通ッタヨ」
「ソレカラ!? ソレカラ!?」
「七〜八十年ハ流レテイタカナ。ソレカラ急ニ暑イ海ニ入ッテ。暑イ海ハ僕ラ苦 手ナンダ。ドンドンヤセテッテ。体ガ半分溶ケチャッタサ」
「ソレカラ!? ソレカラドウシタノ!?」
「気ガツイタラ体ガフワーット浮イテ、ドンドン空ニ吸イ上ゲラレテッテ、イツノマニ
カ雲ノ中ニ入ッテタンダ」
「ソンデ!?」
「雲ハドンドン風ニ流サレテイツノマニカヒマラヤノ上ニ行ッテタ」
「ヒマラヤッテ?」
「スゴク高イ山サ。高イ山ガ延々トツナガッテイテ、ソレデモノスゴク寒インダ。友達
ハミンナ凍リツイチャッテ、殆ンドハ雪ニナッテヒマラヤニ下リテッタ。デモボクハキ
ミトノ約束ガアッタカラ、カゼノ吹クノヲジット待ッテタンダ。」
!」
「ソノウチヤット風ガ吹キ始メテ、僕、ソノ風ニノセテモラッテ、ヤットココマデ戻ッ
テキタワケサ。」

 それから父さんはそのジャガイモの形をした水滴から世界の話をいっぱい聞いて一寸
物知りになったので、もうこれ以上水滴に質問して疲れさせてはいけないと思い、そっ
とその水滴を手のひらですくって近くの沢へ流してやったのでした。
「又来ルカラネ!」
 プルンと笑って、水滴は沢を流れて去りました。
 ポク、タン!
 ポク、タン!
 ニングルの森では梢から落ちる水のしずくが、まだ同じようにずうっと続いています。
 子供たちはもう息をのんで、父親の話を思い返えしておりました。
 ポク、タン!
 ポク、タン!
 そう言えばこの音は、ボクダヨ! ボクダヨ! と呼びかけているようにも思えるの
ですが
 じっと聞いているとやっぱり違うのです。
 父さんって凄い!
 子供たちは改めてそう思い、父親の顔をそっと見つめます。でも父親は又うとうとと、
いつものいねむりに戻っています。
 森の木の上はもの凄い嵐です。
 ポク、タン!
 ポク、タン!
 山ブドウの葉に落ちる水滴の音を聞きながら父さんニングルは夢を見ています。
 大きな海のどっか真中で、さんさんと降る太陽の光を浴びながら、プルン、プルンと
笑って漂う小さな知り合いの水滴の夢です。