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学ぶ・知る・楽しむニングルの森

未来の子供たちへの童話(9) 平成14年 1月27日(日)朝日新聞掲載
ニングルの森   倉本 聰

 長の具合が良くないという噂がこのところ森に広まっていて、今日は誰一人表へ出ていません。
 雪に閉ざされた森の中で、ニングルたちはみんな夫々の、木の洞や風穴や古いクマゲラの巣の中にもぐりこみ、もしかしたらこのまゝ死んでしまうかもしれない、大好きな長のことを考えておりました。
 もう一週間降りつづいている雪は、あたりの物音を全部飲みこんでしまって、時々梢を粛と過ぎる北風の音をのぞいては、きこえてくる音が何もありません。焚火の火までが遠慮してしまって、バチバチという音すらたてようとしないのです。
「エカシ(長老)たちは長の所に集まっているのか」
 小さなニングルが小声でたずねました。
「そうだ」
 とアチャが答えます。
 アチャというのはオジサンという意味です。
 このニングルの一家の父さんはこゝらの長老の一人なので、長の所に昨日から出かけており、かわりに父さんの弟にあたるアチャが留守番に来ているのです。
「長はそんなに具合が悪いのか」

「エカシたちは何の話し合いをしとるンだ」
「いや。今日は長の病気の話ではない」
 その時急に一人の中年のニングルが、真剣な顔で口を開きました。
「山おじが来てるって本当か」
 みんなドキンと顔をあげました。
 山おじ。
 ニングルではありません。
 古くから秘密のつき合いの続いている、今八十六才になる「人間」です。昔ニングルたちがずっと住んでいた山麓の森の、そのまたはるか下の村に住んでいた山子と呼ばれる木こりのじいさんで、ニングルたちが唯一心を許している人間社会の友だちなのです。
「山おじが来てるのか!?」
「本当か!?」
「歩いて来たのかこの雪の中を!!」
「村からならこゝまで四日はかかるぞ!」
「何の用事で山おじは来たンだ!」
 みんなもう一斉に騒ぎ出しました。
 山おじがこゝまでわざわざ来たのは余程の理由があるからに決ってます。そうでなければこんな雪の時期に、山おじがわざわざ来る筈はないのです。

 この前彼らが山おじを見たのは、今からおよそ六十年前、彼らがまだ人里に近い、下の森に住んでいた頃でした。
 その森を国が切りひらいて、畑にするという計画があることを、山おじはこっそり教へに来てくれたのです。
 みんなもうショックで動けなくなってしまいました。
 自分たちの住んでいる森がなくなってしまうからではありません。前にも話したことがあると思いますが、彼らには夫々「命の木」というものがあり、その木が育てば自分たちも育つし、その木が枯れれば自分たちも死ぬのです。
 畑にされるというその森の中には、そのころそこに住んでいたニングルたちの「命の木」がそれこそいっぱい生えており、それらの木を全部伐採されたら沢山のニングルが命を失ってしまうのです。
 その当時そこにいたニングルの長は、現在の長の先代に当たる人で、とても人望のある心の大きな人でした。実はその長の生命の木も、伐られる森の中央に立っている三百年のニレの古木でしたから、森と一緒に死ぬ運命にあったのですが、その時彼はみんなを集め、後にみんなの語り草になる名演説を残したのでした。
 「人間を決して恨んではいけない。
 人間は倖せになる為に、畑を増やそうと森を伐るのだ。わしらは地上の他の生き物、熊や鹿や花や木々の倖せを祈るのと同じように人間の倖せを祈ろうではないか。
 木は倒れ、地に腐り、新たな木の為の苗床となる。我々も死んで地に還り、次の生き物のこやしになろうではないか」
 先代の長はその言葉を遺して、何百人のニングルと共に、その生命の木を伐採されて死に、その後を継いだ現在の長が、残りのニングルの群をひきいて山の奥の奥、今のこの森に新たな集落を拓いたのです。
 そうして六十年が経過した今、再び山おじが来たというのです。

「実はこのあたりの森を切り拓いて、高速道路が通ることになるらしい」
 アチャが重々しく云ったので、ニングルたちはもう全員呼吸を止めてしまいました。
「こんな山奥の木まで伐るのか!」
「そうらしい」
「で、でも、こゝには生命の木がいっぱいあるぞ!」
「人間には関係ないことらしい」
「コ、高速道路って、それは何だ!」
「速く移動できる道のことだ」
「速く移動ってどういうことだ」
「たとえば今だとこの山脈を直接越えるのに、人間でも五日はかけにゃあならん。高速道路ってもんが通るとそこを車で移動できるから、二時間もあればサッと越えられる」
「車って何だ!」
「人間の乗り物だ」
「それは鹿より速いのか」
「速い」
「でも、でも、そんなに走り通したら、息を切らして倒れてしまうぞ」
「車は倒れん」
 もうみんなショックを受けてしまいました。
「どうして速く移動したいンだ」
「急ぐと人間は倖せになるのか」
 若いニングルが真剣にきいたので、アチャは黙ってしまいました。
 実はアチャにも判らなかったのです。
 人間はどうしてそんなに急ぎたがるのか。
 自然の生き物は木を初めとしてみんなのんびり生きているのに、人間だけがどうしてそんなに不自然なほどに急ぎたがるのか。
 中の沢にある桂の木の洞では、黙りこくったエカシたちの前で、同じことを長が考えておりました。
 わしの命はもう長くない。それでもわしはのんびり生きとる。なのに人間だけどうして急ぐのか。
 きっと人間というものの寿命が迫っとるに違いない。迫っとるので焦っとるンだろう。
 雪が音もなく又降り始め、ついさっき山をひとり下りて行った、山おじの足跡を消して行きます。