| 未来の子供たちへの童話(10) |
平成14年 4月28日(日)朝日新聞掲載 |
倉本 聰 |
「何をしてるの?」
幼いニングルが聞きました。
長老たちが集まって、沢の向う岸で何かしています。それはとっても厳粛な儀式で、長老以外誰も近づいてはいけないらしいのです。ですから若いニングルたちはこっちの木立ちの間からみんな息をのんで見ているだけです。
「何をしてるの?」
幼いニングルがもう一度聞いたのでお母さんニングルがそっと答えてやりました。
「鮭を葬っているンだよ」
「鮭?」
「そうさ、とっても勇敢な鮭でね、今年はたった一尾だけ、この山奥まで帰ってきたのさ」
「泳いで?」
「勿論さ」
「海から?」
「そうだよ。二百キロ以上の遠い道のりさ。子供を産む為に帰ってきたンだよ」
昔。
こゝらの森の沢には、秋になると沢山の鮭たちが、卵を産む為に帰ってきました。でも四十年位前から鮭はぴたりと帰らなくなりました。
人間が河口に孵化場を作り、川に柵を作って上ってくる鮭を全部捕らえてしまうからです。それでも毎年何尾かの勇敢な鮭は、柵をかいくぐり網をくい破って上流へ向かって泳ごうとしました。
ところが人間は孵化場ばかりでなく、その上流の川をせきとめて、いくつものダムを造り出しました。ダムには垂直に立ったコンクリートの高い壁があり、水は滝のようにまっすぐ落ちますから、いくら必死の鮭だって乗り越えることが出来ません。
けれどそれでも何尾かの、中でも勇敢な何尾かの鮭が、そういうダムの壁を懸命に乗り越え、この山奥の産卵場所まで時々たどりついてくるのです。
三年前は二尾来ました。
二年前には一尾でした。
去年は一尾も来ませんでした。
そして今年は一尾来ました。
森の中はしんとしずまっています。
幼いニングルが小声でききました。
「あの鮭は死んじゃったの?」
お母さんニングルが小声で答えます。
「そうだよ。鮭はね、子供を産むと死んじゃうの」
幼いニングルの目に、見る見る涙が浮かびます。だって、だってそれじゃあ生まれた子供はお母さん鮭に逢えないじゃないか!
幼いニングルは悲しくなって、お母さんの腕にギュッとすがりつきました。すがりつきながらそのとき彼は、向う岸にいる長老だちが不思議なことをし始めたのに気づきました。
長老たちが鮭の死体を両手で恭々しくかゝえながら夫々の顔にくっつけては、次へ廻していくのです。
何してンだろう。
幼いニングルには判りませんでした。
すると、口に出して聞いたわけでもないのにお母さんニングルが答えてくれました。
「匂いをかいでるのさ」
「匂い?」
「海の匂いをね」
「海の匂い!?」
「鮭の仕事はね、山奥まで帰ってきて卵を産むことと、もう一つ、海の匂いを持ってくることなのさ」
「山奥に!?」
「そうだよ、山奥に」
幼いニングルはもうびっくりしてしまいました。
匂いを持ってくる。
どういうことだろう。
「あれを見てごらん」
母さんニングルに云われて上を見ると、驚いたことにニレの木の枝に、こゝらでは珍しいオオワシがじっと黙って止っていました。
トドマツの枝には三羽のカラスが止っています。
「あの子たちはこれから鮭の持ってきた海の匂いを、こゝらの森に運んでくれるのさ」
「 」
「こゝらの森の木は、海の匂いが大好物でね。その匂いを嗅ぐと元気になるンだよ」
「 」
向う岸では儀式が終ったらしく、鮭の遺体が岩の上に置かれて、長老たちは引き揚げていきます。
彼らの姿が見えなくなると、トドマツの枝からカラスたちが下りてきて、鮭の死体を少しずつついばみ、森の中へと運んで行きました。
するとしばらくしてニレの枝から、オオワシがひらりと舞い下りて来て、鮭の死体を大きく千切り、森の梢へととび上がります。
その時です。
オオワシの足から小さな肉片がパラパラとこぼれて森に散りました。するとその時、梢の葉っぱたちが何故かパァッと黄金色に染ったのです。
ア!木がよろこんでる!
幼いニングルは母さんを見ました。
すると母さんは大きくうなずき、
「海の匂いがかげたからさ。
森の木たちは海の匂いを、かぎたくてかぎたくて仕様がないのさ。あの匂いをかぐと元気になるのさ。海の匂いは森の栄養なンだよ。
だからその匂いを運んでくる鮭たちを森は毎年待ってるンだよ」
それから首をふり、淋し気に云ったのです。
「だけど最近ダムがいっぱい出来たおかげで、鮭は仲々この山奥まで、海の匂いを運べなくなったけどね」
その晩幼いニングルは、木の洞の中で一生懸命考えておりました。
人間様に手紙を書きたい。
ダムをなくすように伝えなくちゃいけない。
でも 。
ボクたちは文字を持たないから、手紙を書きたくても書くことが出来ない。
それに 。
かりに手紙を書き川に流しても、きっと途中のダムにひっかかって、人間様の住む下流まで届かない 。 |