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| 新井 |
「三脚の一本くらい湿原に落としてもいいだろう」。30年前、尾瀬を撮り始めた頃は、僕もそんな感覚だったんですよ。で、よくサブレンジャーの若者たちから注意されたっけ。 |
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| 中田代上空からみる尾瀬ヶ原 |
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| ヨッピ吊り橋を渡る。写真の器材は25sにもなる。 |
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| ニッコウキスゲと至仏山 |
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| 竹内 |
私も最近、一眼レフを手にし始めたんですけど、ファインダーを覗くと、そこに見えるものしか見えなくなっちゃうことってありますよね。 |
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| 新井 |
決して悪気があるわけではないんです。単にそれが湿原にどういう影響を与えるか、ということを知らなかっただけ。もちろん、その地層が単純な泥ではなく、8000年という長い年月をかけて育まれた"泥炭≠セなんて知る由もない。
尾瀬を撮り始めて30年。今や木道は往路、復路の複線化がなされ、尾瀬は厳しい自然環境ではあるけれど、門戸が広くなって普通の公園のように楽しめる場所になりました。だからこそ、鳩待峠の入口にある種子落としマットを踏むと、改めて気付かされるんだよね。そこにある自然に、決して手を加えてはいけない場所だということを。 |
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| 竹内 |
あのマットは、移入植物を取り除くという点から見れば役割を100%果たしてはいません。服に付いてきた種子までは取れませんし。でも、登山口にああいうマットがあることで、「あ、これから自分はそんなに繊細な自然の中に入って行くんだな」という意識を持って頂ける、そこにもまた大きな意味があると考えていたんです。だから新井さんにそういってもらえると、マットを設置している立場としては安心しますね。
東京電力が、尾瀬という"日本の宝≠お預かりすることになったのは1951年。大正時代の電力会社が尾瀬の豊富な水を水力発電に活かそうと取得した、尾瀬の7割の土地と水利権を引き継いだんです。
その後10年ほどで、尾瀬には多くのハイカーが押し寄せるようになりました。当時はまだ、自然を守るための設備やマナーが整っていなかったため、アヤメ平に代表される繊細な自然はまたたく間に荒廃。そこで東京電力は木道の敷設や公衆トイレの設置という、尾瀬の自然を守る取り組みを始めました。でもそうした「縁の下の力持ち」としての働きも大切だけれど、やはり「みんなの尾瀬をみんなでまもろう」と呼びかけて、皆さんのパワーをもらうことも大切だろうと思っています。 |
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