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尾瀬と東京電力の出会い

尾瀬の歴史

昔は、馬で尾瀬へ物資輸送を行っていた。

明治時代から続く尾瀬の歴史

1890年(明治23年)、平野長蔵氏が尾瀬沼岬に行人小屋を建てたことをもって尾瀬開山と言われていますが、古くから尾瀬には、上州(群馬県)と会津(福島県)を結ぶ交易路が通っており、尾瀬沼のほとりには交易所が設けられていたそうです。地名のいわれには平家落人伝説と関係があるものもあり、深い歴史ロマンを感じさせます。

約1600もの池塘が点在している。

穏やかなものとはけっして言えない尾瀬の歴史

しかし尾瀬の歴史はけっして穏やかなものではありませんでした。有数の豪雪地帯であり水が豊富であったこと、2000m級の山に囲まれたお椀のような地形をしていたことから、1903年(明治36年)には尾瀬における水力発電計画が発表されました。当時は富国強兵のため、電力の増産は国を挙げての課題だったのです。この計画に基づき大正時代の電力会社(利根発電)が尾瀬の土地を買収したことが、尾瀬と電力会社との出会いとなりました。しかし、当時から尾瀬の自然はまもるべきであるという声が政府内にも存往したこと、また度重なる戦争の影響等もあり、尾瀬は開発されることなく昭和の時代を迎えました。

尾瀬を訪れるハイカーが急増

昭和30年代後半ともなると、戦後の混乱はだいぶ収まり、人々の生活にも余裕が出てきました。そこで起こったハイキングブームと、名曲「夏の思い出」のヒットがあいまって、尾瀬を訪れるハイカーが急増したのです。今のように自然をまもる設備も人々のマナーも確立されていなかったため、尾瀬の自然は急速に荒廃してしまいました。しかし、関係者の地道な努力により、尾瀬は美しいその姿を取り戻し、今日に至っています。

木道から外れて歩くハイカー
多くのハイカーでにぎわう尾瀬。湿原の上に座っている人もいた。
昔は池糖の上にある浮島に乗る人もいた。
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