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尾瀬と東京電力の出会い

尾瀬と東京電力の出会い

尾瀬との出会いはここにあったんです。
昔の東電小屋

東京電力設立時に、前身の会社から引き継がれた尾瀬

明治から大正にかけての時代は、人々の暮らしに電気が入り始めた頃で、その需要は急速に高まっていました。そのため、当時発電の中心であった水力発電の建設をすすめることは、国を挙げての大きな課題でした。

そこで、尾瀬の豊富な水を発電に生かそうと、1916年(大正5年)、当時の電力会社(利根発電)が尾瀬の群馬県側の土地(群馬県側だけは当時から私有地となっていた。福島・新潟県側は当時も今も国有林)を取得、1922年(大正11年)には関東水電が水利権(河川や湖沼の水を利用する権利)を取得しました。

コラム 東電小屋

尾瀬ヶ原を一望できる場所に位置することから、ハイカーの方々に人気のある東電小屋。もともとは、昭和の初めに関東水電という当時の電力会社が、降水量調査のために建てたもので、当時は「水電小屋」と呼ばれていました。その後、東京電力の前身である東京電燈に引き継がれ、この時から「東電小屋」と呼ばれるようになったのです。

しかしながら、度重なる戦争や震災で大規模な開発が難しかったこと、また、当時から尾瀬の自然は守るべきだという声が強く、政府内も二分されていたことなどがあり、計画が実現しないまま、尾瀬は1951年(昭和26年)の東京電力設立時に、前身の会社から引き継がれたのです。それが、尾瀬と東京電力の出会いの始まりです。現在、尾瀬国立公園全体の約4割、特別保護地区の約7割の土地を所有しています。

尾瀬における自然保護活動の始まり

荒廃したアヤメ平

昭和30年代後半に、尾瀬の美しさにひかれてやってくるハイカーの数が増えるにつれて、また、当時は木道や公衆トイレなどの設備が整っていなかったため、尾瀬の自然は瞬く間に荒廃していきました。東京電力は、その頃から、一度失われた自然を守ろうと、尾瀬の“自然保護”に力を注ぐようになったのです。湿原を踏み荒らすことなく、人と自然が触れ合えるように、約20km(全長65km)にわたる木道を敷設したり、アヤメ平の湿原回復作業などに取り組んでいます。

国立公園の中に私有地?

  日本 イギリス アメリカ カナダ
公園の形態 地域制 地域制 営造物型 営造物型
公園数> 32 25 59 46
公園総面積(ha) 211万 227万 2,100万 3,048万
国土面積比 5.6% 10% 2% 3%

※日本は、H28.3月現在

国立公園である尾瀬の土地を、東京電力と言う企業が所有していることに、違和感を覚える方も多いかと思います。国立公園は、国がその土地を買い上げて、直接管理を行っているというイメージですよね。

アメリカやカナダではそうした制度(営造物型公園)がとられていますが、日本やイギリスにおいては、国などが直接土地の所有権などを取得せず、土地の利用を規制することで景観を保護する制度(地域制公園)がとられています。営造物型では一元的で行き届いた管理が可能になりますが、国立公園への指定のしやすさという点では、地域制公園制度がまさります。国土面積が桁違いですので、推測の域を出ませんが、国土面積に占める国立公園面積の割合が、アメリカ・カナダが2%程度であるのに対し、日本・イギリスは5%以上であることは、そうした制度の違いを反映しているのかもしれません。

国立公園の約4分の1は私有地です。

日本には、現在31箇所、面積にして約210万haに及ぶ国立公園がありますが、その約四分の一は私有地です。特に伊勢志摩国立公園では約96%が私有地となっています。このように、国立公園の中に私有地があること自体は珍しいことではありませんが、尾瀬のように特別保護地区の7割という大部分を一つの企業が所有しており、しかもその保護に長年関わっているという例は非常に稀有であるといわれています。

国立公園の土地所有者に、その保護活動まで行う法的義務はもちろんありません。私有地でありながら公園としての用に供する義務を負う上、さらに保護活動の責務まで課すことは、当然できないからです。しかしながら、東京電力は「企業の社会的責任」という観点から、尾瀬の保護に長年取り組んでいるのです。

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