資料館

それぞれのフィールドにおいて、自然との共生や環境保護活動などに精力的に取り組んでいらっしゃるオピニオンリーダーの方々との対談内容をご紹介いたします。

尾瀬の生き証人が、故郷の子供たちに託す想い~半世紀にわたる尾瀬との関わりを伺う~

<ガイド協会会長>松浦和男(まつうらかずお)×<東京電力・永年尾瀬保護活動担当>竹内純子(たけうちすみこ)

尾瀬の玄関口・片品村で生まれ育った松浦和男さんは、一度も地元を離れることなく、半世紀以上にわたって尾瀬の変遷を見続けてきました。かつては馬を引いて山小屋に荷を運び、現在はロッジを経営する傍らでガイドとして活躍する松浦さんが、群馬県が導入する“尾瀬学校”のスタートを前に故郷の子供たちに送るメッセージとは?

<片品山岳ガイド協会会長>松浦和男(まつうらかずお)

<片品山岳ガイド協会会長>松浦和男(まつうらかずお)

1940年、群馬県片品村出身。生家は尾瀬の山小屋などに荷物を運ぶ馬方の元締。その仕事を手伝うため、54年より尾瀬に通いはじめる。70年に家業を畳んだのちは民宿経営に専念し、現在は「ロッジまつうら」を経営する。また、90年には片品山岳ガイド協会を設立。尾瀬の案内や安全登山指導、自然保護活動などに尽力する。

ボッカに明け暮れた青春時代

尾瀬へ荷を運ぶ馬とボッカを束ねていた松浦さんの実家
竹内
松浦さんが初めて尾瀬に入ったのはいつですか。
松浦
14歳、中学校2年の夏休みのときです。当時、私の家は尾瀬に荷物を運ぶ馬方の元締をしていて、ある日突然、「尾瀬へ行ってこい。馬のあとをついていけばいいから」と言われたんです。尾瀬沼に福島県檜枝岐村の小学生が遠足に来ていましてね。まだみんな着物を着ていたのをよく覚えてます。
竹内
尾瀬のブームは昭和30年代後半というイメージがあるんですが、そのころすでに尾瀬に荷物を運んでいたということは、昭和20年代後半も尾瀬に来る人は多かったんですか。
松浦
来てはいましたね。でも、大勢来るようになったのは、なんと言っても昭和30年代、しかも後半です。当時はまだヘリがなく、馬と人ですべてのものを運んでいました。休みの日はまったくなく、毎日戸倉から尾瀬に通っていました。ボッカとしての私の最高記録は、75キロを背負って鳩待峠から山の鼻まで1日5往復したとき。そうしないと間に合わなかったんです。
竹内
そこまでがんばって働けたのは、やっぱり尾瀬が好きだったからですか?
松浦
というよりも、元締めとしての責任感かもしれません(笑)。間に合わなければうちの責任になってしまいますから。
竹内
木道が無い時は大変だったでしょうね。
松浦
木道が整備されるようになって、便利になったと思いましたよ。こちらも大変ですが、湿原も荒廃しましたしね。木道がないときは、ぬかるみだらけの湿原の中、歩きやすいところを探すのが大変で。木道がまだ1本だったときは、すれ違うときにどっちが道を譲るかでよくじゃんけんをしました。そうしているうちに少しずつ木道の整備が進み、すれ違えるスペースができ、木道も2本になっていきました。
竹内
荷を運ぶ仕事をしていたのはいつごろまでですか?
松浦
ヘリコプターが導入されるようになったのが昭和42年で、父親が亡くなった昭和45年にすべての尾瀬の仕事をやめました。その後はずっとこの片品村戸倉で民宿経営をしています。ただ、遭難救助や山小屋の雪下ろし、ガイド等で、尾瀬に行かなかった年はありません。同級生はみんな就職して村を出ていきましたが、私は1年たりとも村を離れたことはないんです。
竹内
ずっとここで尾瀬の変遷を見てきたわけですね。

尾瀬が郷土の誇りに

若かりしころの松浦さんと愛馬。毎日が重労働だった
尾瀬国立公園誕生記念イベントには親子三代で参加。竹内さんと三代の記念写真
竹内
ガイド活動をするようになったのはいつからですか。
松浦
個人的に民宿のお客さんを案内することはありましたが、片品山岳ガイド協会を立ち上げたのは平成2年です。最初のころはお客さんも少なかったんですが、だんだん増えてきましてね。尾瀬に64万人の人が来た平成8年は、電話が鳴りっぱなしでトイレにも行けないほどでした。ガイド協会とうちの民宿の電話を兼用にしていたので大変でしたよ。
竹内
ガイドに対するニーズが伸びているのは、尾瀬に行くなら、きちんとその自然や保護活動について知りたい、そして勉強したいと皆さんが思うようになってきたからでしょうね。とてもうれしいですね。
松浦
そうですね。さらに群馬県では県内の小中学生は在学中必ず一度は尾瀬に行って学ぶ「尾瀬学校」を始めるそうで、これからは子供をガイドすることが多くなりそうです。
竹内
とても良い制度ですよね。子供たちが故郷の誇るべき自然を知って育つというのは大事なことであり、その場所に尾瀬が選ばれたのは、尾瀬の保護活動に携わる立場としても、とてもうれしく思います。
松浦
一度は尾瀬を訪れた子供が卒業して全国に散らばっていくわけですから、尾瀬学校の波及効果は高いと思います。「尾瀬が騒がしくなる」という声もありますが、それはガイド次第だと思います。野放しにならないよう目配りし、いかに生徒をまとめられるか、ガイドは今まで以上に気を遣わなければなりません。
竹内
騒がしくなることを恐れて閉鎖してしまうのは、よくないと思います。尾瀬のようにやさしい自然にふれればやさしい気持ちになるし、守るための取り組みや問題点も伝わりやすいじゃないですか。そういう場所へ、感受性の高い子供のうちに来てもらうのは、とても有意義なことだと思うんです。
松浦
そのことを理解してもらうためには、ただ尾瀬に来るだけではなく、事前学習をしっかり行なうことが必要ですよね。竹内さんも、だいぶ以前から「尾瀬出前授業」に取り組んでくれていますが、竹内さんの授業を受けてから林間学校に来る生徒さんと、そうでない生徒さんは、全然違いますよ。
竹内
それはうれしいです。ぜひ尾瀬の自然を知り、そこで行われている保護活動を学び、尾瀬でそれを見ることで、自分の普段の生活も一度見直してほしいと思っています。尾瀬学校も軌道に乗るまでは大変でしょうが、事前学習と現地解説のリレーがうまくできていくといいですね。今日はどうもありがとうございました。

尾瀬の帰りに戸倉の「山遇楽(やまぐら)」に寄ってみよう

松浦さんが私財を投じてつくった資料館。尾瀬に関する貴重な昔の写真や動物の剥製、標本などが展示されている。松浦さんに尾瀬の話を聞くこともできる。
入館料200円。9~16時開館。

畠山重篤さんと「漁師山に木を植える」の理由を聞く

畠山重篤 養殖業。

田部井淳子さんと裏磐梯を歩き、自然の恵みとその利用を語り合う

田部井淳子 登山家。

立松和平さんと尾瀬を歩きながら自然保護の心についてうかがう

立松和平 作家。

養老孟司さんに自然と人とのかかわりについて聞く

養老孟司 東京大学名誉教授。

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