令和元年台風をこえて 〜前編〜

2020/03/24

令和元年台風をこえて 〜前編〜

2019年9月8日に関東に接近した台風15号は、9日未明、関東としては過去最強クラスの勢力を保ったまま、千葉県千葉市付近に上陸。これにより、東京電力グループ供給エリアにて、送電鉄塔2基が倒壊、電柱約2,000本が折損し、最大約93万軒の停電が発生しました。中でも、特に大きな被害を受けながら復旧に臨んだ東京電力パワーグリッド木更津支社のメンバーが、当時の状況や心境を振り返ります。

停電件数の推移

東京電力グループ供給エリアにおける停電軒数の推移。最大約93万軒に上った停電は24日午後7時頃にほぼ100%解消となった

東京電力パワーグリッド株式会社
木更津支社 木更津制御所
館山地域配電保守グループ 保守リーダー

遠藤 繁

1993年入社。千葉県内で配電保守業務を担当し、2017年から現職。配電保守の総括補佐として、作業員への指令・安全管理や服務管理に携わる。

遠藤 繁

館山全体が夜の山中のような暗闇に

私は当時、館山事務所内で、配電線の復旧作業を行う作業員への指令や、本社との連絡を行っていました。
台風がまさに接近してきた9月8日の深夜。配電線事故による停電が管内で発生し始めたため、作業員を現場へ向かわせ、復旧作業を指示していました。しかし、台風が近づくにつれて風が強まり、停電件数が爆発的に増え、現場に出ていた10人ほどの作業員では手に負えなくなりました。

私たちの使命は、一刻も早い復旧によってお客さまに電気を届け、安心していただくことです。現場では懸命の作業が続きましたが、直しても、直しても、直しても、停電する地域が増えていく……長年配電保守に携わってきましたが、こんな心苦しさを感じるのは初めてでした。

作業員の身の安全のために作業は一時中断。そうしているうちに停電範囲が広域にわたり、館山全体がまるで夜の山の中のように、一つの明かりもない真っ暗闇に包まれてしまいました。

館山市船形の電柱その1(9月9日明け方に撮影)

館山市船形の電柱その2(9月9日明け方に撮影)

現場との通信が限られる中で

再び作業ができるようになったのは9日の明け方でした。その間に館山事務所も停電し、社内の通信が断たれたことで、社内のオンラインシステムも使用不可能になっていました。さらに、携帯電話も通じず、無線機でなんとか連絡をとりながら現場の巡視と復旧作業を進めました。

事故現場の特定にも時間がかかりました。倒木や飛来物、土砂崩れによって立ち入れない場所が何カ所もあったからです。オンライン上で管理していた図面が見られず、なかなか全体を把握できなかったことも一因でした。引っ張り出してきた昔の紙の図面と、地元に精通した作業員の経験が頼りでした。

現場では、日を追うごとにグループ各社、他電力の皆さま、そして自衛隊の皆さまと応援に来てくださる方が増え、復旧のスピードが格段にアップしていきました。毎日、昼も夜もない作業が続きましたが、街が徐々に明るくなっていくのにつれて、私たちの気持ちも明るくなっていきました。開閉器を操作して、目の前のエリアにパッと電気がついた瞬間の安堵感は、今も忘れられません。

現場との通信が限られる中で

「完全復旧」、そしてさらなる安定供給を目指して

地域の皆さまが労いの言葉をかけてくださる機会もありました。あるときは、お手紙とともにダンボール箱に入ったお菓子や飲み物をいただき、お手紙には、「本当にありがとうございます。心無い言葉をかける人もいるようで、ごめんなさい」と書いてありました。
私たちの仕事は派手なものではありませんが、こうして見ていてくださる方がいるんだと、涙する作業員もいました。配電保守担当として、電力マン冥利に尽きる出来事でした。

全戸のお客さまへ電気を送れるようになった今も、山間部では応急的な処置のままとなっている箇所があり、今回の台風被害から「完全復旧」したとはまだ言えません。これからも続く現場での作業に向けて、作業員の安全を守るよう、気を引き締めなければと思っています。そして、これからもお客さまに選ばれるTEPCOであるように、電気をもっと安定してお客さまにお届けできる体制を整えていきたいです。

東京電力パワーグリッド株式会社
木更津支社 木更津制御所
配電保守グループ

齋藤 翔

2009年の入社から現在に至るまで、千葉県内で配電保守を担当。2019年7月から副班長として、現場の責任者を務める。木更津市の北に隣接する袖ヶ浦市出身。

齋藤 翔

見慣れた街が全く違う光景に

今回の台風では、被害が出た現場に急行し、被害の状況を確認、復旧する仕事に従事していました。

台風襲撃の最中に現場に出た時に見たのは、子供のころから見慣れていた街とは全く違う光景でした。木がなぎ倒され、家々のガラスが割れ、山では土砂が崩れ……「これは大変なことが起きている。長丁場になるな」と腹をくくりました。

早く復旧作業にあたろうと作業車の外に出た私たちを襲ったのは、車のドアごと飛ばされそうになるほどの猛烈な風。風が収まるのを待って、明け方から本格的に復旧作業を始めることになりました。

「一分一秒でも早く」 昼夜を問わぬ連日の作業

台風からの復旧作業は毎年、何度もやってきたはずでした。しかし今回は、今まで経験したどの台風被害よりもひどく、電柱が倒木により折れたり、山肌ごと崩れてしまったりと、これまでの経験が通用しませんでした。立て続けに台風19号、21号も襲来したことで、さらに作業は長期化。2,3カ月間、私たちはほとんど家にも帰らず、連日現場に出る生活が続きました。袖ケ浦の実家の様子を見に行く暇もありませんでした。

昼は暑さと戦い、暗くなってからも作業は続きます。作業が終わって事務所に戻れば、誰もが床にマットを敷いて寝るしかありませんでした。体力の消耗は激しかったですが、一分一秒でも早く、お客さまに電気を届けたいという思いだけでした。グループ各社や、他の電力会社、自衛隊の皆さまも助けに来てくださり、思いを一つに作業を進めました。

「一分一秒でも早く」 昼夜を問わぬ連日の作業(2)

経験を活かし、素早く復旧できるチームになる

私が現場の作業責任者を任されるようになったのは台風15号襲来のわずか2カ月前。それでも、復旧対応中はリスクの洗い出しや作業効率改善なども含め、全体を見渡しながら進めるよう心がけました。さまざまなことを考えながら短期間に多くの現場を経験し、広い視野を身につけることができたと感じています。

また、現場で作業中に地域の皆さまがかけてくださる「作業をしてくれてありがとう」という声が、私たちにとっては大きな励みでした。作業中の私たちをそばで見ていてくださり、無事復旧できたときに「電気がないと大変だとわかったよ。ありがとう」と温かく言ってくださる方もいて、連日の厳しい作業も報われた気がしました。

そんな地域の皆さまに対して、停電が長期化してしまったことは本当に申し訳ありません。大変お待たせしてしまいましたが、皆さまのもとに電気を届けられるようになり、とりあえずはほっとしています。台風のような自然災害は起こらないことが一番ですが、もし発生した場合にも災害に負けない強い設備をつくること、そして、被災した場合には迅速に復旧させることを目指して、これからもチームのみんなでスキルを高めていきます。

東京電力パワーグリッド株式会社
木更津支社
送電技術グループ 運営チームリーダー

瀧口 明生

1996年入社。千葉総支社、成田支社などで送電設備のメンテナンスなどの送電部門を担当。現職では、送電技術グループの運営総括として管理業務に携わる。

瀧口 明生

あるはずの鉄塔が無い

あるはずの鉄塔が無い(2)

私が現場に出たのは、風がひとまず収まった9日の明け方でした。すでに広域停電が発生している中で、送電設備にも何らかの被害が出ていることは明らかです。状況を確かめるために、送電線をたどって鉄塔を1基ずつ巡視することにしました。

冠水し、倒木やがれきに阻まれた道を何とか進んで最初に見つけた異常は、通常ではありえない、電柱ほどの低さにまで垂れ下がった送電線でした。そこから送電線を辿って進んでいくと、まず、1基の鉄塔が倒壊していることを目視確認できました。

鉄塔が台風で倒壊するなんて、通常では考えられないことです。すぐに事務所に報告し、他の鉄塔も確認しようとしました。しかし、倒木に阻まれ、とても先に進めません。

何とかならないかと周りを見渡してみたところ、強い違和感を覚えました。隣接する次の鉄塔が”無い”のです。鉄塔は高さが約50メートルあり、山の中でも頭の先くらいは見えるはずです。信じられないとは思いながらも、思わず、ありのままに「鉄塔がありません!」と事務所へ報告しました。後に、その鉄塔も倒壊していることがわかりました。

一刻も早く「大動脈」を生かすために

電力会社にとっての送電線とは、心臓=発電所と、町中をめぐる毛細血管=配電線とを繋ぐ、いわば大動脈にあたる部分です。ここが損壊したままでは、いつまでもお客さまに電気を届けることはできません。私はすぐにその場で、この事故点を全体系統から切り離す工事の段取りを整え、作業員を集めてそのまま現場責任者として工事に立ち会いました。日中は暑く、山中のため虫や汗にも悩まされましたが、何万世帯も停電している中で「早く、どうにかしなきゃいけない」という思いが、その場の全員を動かしていました。作業は、私が事務所を出てから24時間近くが経過した、10日の早朝まで続きました。

事故点の切り離しが終わると、今度は別のルートで送電する工事を指示するために事務所へ戻りました。1日や2日で済む作業ではないので、長期戦を覚悟しました。一番気を使ったのは、作業員の安全と体調管理です。作業員の皆さんには「無理をしないこと、水分を取ること、わからないことがあればすぐに聞くこと」を徹底してもらいました。

昼夜を問わない対応はもちろん体力を削りましたが、それよりも、経験したことのない設備被害に「いつ復旧作業が終わるかわからない」というプレッシャーが重くのしかかっていました。通信手段が乏しく、現場のことが詳しくわからないのも不安で、「今、現場では無事に作業が進んでいるだろうか」と、事務所でも常に作業員の皆さんのことが気がかりでした。

一刻も早く「大動脈」を生かすために

人の生活を支える使命をあらためて実感

今回の設備復旧作業を通じてあらためて感じたのは、私たちは「人のための仕事」をしているんだということです。この台風被害からの復旧に携わることで、私たちは人の生活に欠かせないインフラを守っているんだということ、私たちの仕事が社会へ及ぼすインパクトの大きさをあらためて痛感しました。今回の経験を通して、電力に携わる者としての使命感がさらに強くなったと思っています。

今年2月になって、送電設備はようやく全面的に復旧し、非常時の態勢も解かれました。ここまで復旧できたのは、さまざまな人が助け合って取り組めたからだと思います。ただ、喜んでばかりはいられません。しっかりと今回の対応を振り返り、同じような災害が発生したときに反省を活かせるよう、日頃から備えていかなければならないと強く感じています。

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